東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
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マルケヴィチ版の背景と意義

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 常任指揮者  飯守泰次郎

  当シリーズの第1回(5月31日/交響曲第4番・第7番)は、 おかげさまで非常に多くのお客様から熱い拍手と大変なご好評をいただくことが できました。ご来場、ご支援くださったくださった皆様に改めて御礼を申し上げます。

 今回のシリーズで私がI.マルケヴィチ版の使用を選択した意図について、 シリーズ第1回当日のプログラムのほか、岩野裕一氏にナビゲートしていただいた プレトークでもお話しいたしました。7月15日に、シリーズ第2回を迎えるにあたり、 若干の重複もありますが、改めて皆様にマルケヴィチ版の価値について お伝えしたいと思います。

 演奏スタイルの問題は他の作曲家にもありますが、ベートーヴェンの交響曲に 関してはその違いが非常に大きくなってきているのが現状です。 作曲当時の状況に忠実であろうとする古楽器的アプローチに対し、 歴史的に発展してきた伝統にもとづく演奏スタイルでは、ベートーヴェンが その人間性、哲学、音楽において改革者であった、ということに着目します。

 ベートーヴェンは革命的な新しいエネルギーで音楽史の向きを変え、 新しい時代を切り拓いた人物で、高い理想を持っていました。 歴史的な演奏伝統にもとづくアプローチでは、楽器の改良の歴史を鑑みれば 作曲当時のベートーヴェンの表現には制約が課されていた、という点に 重点をおいて考慮します。たとえばワーグナーも、ベートーヴェンの交響曲の 演奏のしかたについて助言を残し、またマーラーも、様々な方法を試みました。

 そして、往年の名指揮者ワインガルトナーが自著『ある指揮者の提言』で 述べた演奏上の助言を多くの指揮者たちが採り入れたことにより、 この重厚でいわばドイツ的な演奏傾向は明らかになりました。 クレンペラー、メンゲルベルク、ワルター、トスカニーニ、ニキシュ、シューリヒト、 エーリヒ・クライバー……そして、行き着いたのがフルトヴェングラーです。

 こうした巨匠の時代は20世紀半ばまで続きました。 一方、古楽器によるアプローチが台頭するのが1970年代後半であり、 マルケヴィチが活動した時期は、まさに演奏伝統の流れが分かれていく 直前だったのです。

 マルケヴィチはウクライナのキエフに生まれ、スイスで育ち、パリで音楽を勉強し、 アムステルダム・コンセルトヘボウを指揮してデビューしました。 その後、指揮者としてめざましい活躍をする中、欧米各地の主要なオーケストラで、 往年の巨匠指揮者の残した楽譜に接するうち、その違いが次第に拡大していることに 気付きます。個性を強調するあまり誇張に走ったり、ベートーヴェンの本質から 離れていくことに、彼は危機感を抱きました。このまま放置すればベートーヴェンの 音楽を正しく継承して演奏の歴史を作り上げていくことができなくなる、 という強い責任感のもと、客観的で体系的な1つのベートーヴェン像をどうしても 打ち立てなければならない、という驚くべき決心により、 全交響曲のマルケヴィチ版を完成する偉業を成し遂げたのです。

 マルケヴィチは、ベルリン・フィル、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス、 シュターツカペレ・ドレスデン、コンセルトヘボウ、ラムルー管、パリ管、 ウィーン・フィル、シンフォニー・オブ・ジ・エア、ロンドン響、 フィルハーモニア管…等々、自分の指揮するオーケストラでライブラリアン から膨大な資料を集め、コンサートマスターたちと議論を重ねました。 のみならず、ベルリンやボンの国立図書館、ウィーン楽友協会のライブラリーなど、 考えうる限りの楽譜と資料を実際に検討したのです。


 重要なことは、マルケヴィチ版は彼個人の主張ではない、ということです。 ベートーヴェンの音楽的発想を尊重しながら、名指揮者たちの良いところを取り出し、 いくつかの可能性と推奨を示す、というこの客観性が、マルケヴィチ版に 高い価値をもたらしています。これは、彼がコスモポリタン的な環境で育ち 活動したこと、指揮者、作曲家として豊富なキャリアを持っていたことの賜物です。 そして最後には演奏家自身が判断するという自由さが、 マルケヴィチ版の最大の魅力なのです。

飯守泰次郎

写真:金子 力

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